神戸地方裁判所 昭和37年(ワ)796号 判決 1966年4月13日
主文
被告は、原告岡田チエ子に対し金一、二〇四、六五二円、原告岡田彰に対し金二、三二八、七〇五円、原告松本好美に対し金一二五、四三九円及び右各金員に対する昭和三七年九月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用中、原告岡田チエ子、同岡田彰と被告との間に生じたものは、一〇分し、その一を原告ら、その九を被告の負担とし、原告松本好美と被告との間に生じたものは、五分して、その四を原告松本好美の負担とし、その一を被告の負担とする。
この判決第一項は、原告岡田チエ子において金四〇〇、〇〇〇円の、原告岡田彰において金七五〇、〇〇〇円の、原告松本好美において金四〇、〇〇〇円の担保をそれぞれ供するときは仮に執行することができる。
事実
第一当事者双方の申立
一 原告ら
「被告は原告岡田チエ子に対し金二、五二五、六〇九円、原告岡田彰に対し金四、四二〇、六一八円、原告松本好美に対し金八八一、五四五円及び右各金員に対する昭和三七年九月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決及び仮執行の宣言。
二 被告
「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決。
第二当事者の主張
一 原告らの請求原因
(一) 原告松本好美は昭和三六年四月一〇日、午後五時五八分ごろ、その所有する小型乗用車を運転し、神戸市生田区波止場町岸壁方面から北進し、被告所有の臨港鉄道路線(以下臨港線という)に設置せられている同町所在の国産波止場東踏切(以下本件踏切という)にさしかかり、その直前で一旦停車したが、右臨港線南側は本件踏切のすぐ近くにまで、後藤回漕店、日通の倉庫等の建物が建ち並び、南方から北方へ右踏切を横断する場合、臨港線軌道上の見通しは左右ともに極めて悪いため、原告松本は更に自動車を発車させ、徐行しながら踏切内に進み、そこで再び停車し、軌道の東方の状態を見つぎに西方のそれを確かめようとしたところ、丁度その時、毛利馨機関士の運転する湊川駅方面から神戸港方面へ進行して来た第七七四号貨物列車が本件踏切の西方約五メートルの地点に迫つて来たのを発見したが、これを回避する余裕もなく、右列車を逆行で牽引して来た機関車の最前部となつていた炭水車の左(逆行運転している機関士からみて)後部角付近が原告松本の自動車前部に激突し、右自動車は約三〇メートル、列車の進行方向に撥ね飛ばされたうえ機関車の第二動輪にひつかかり大破し、折りから本件踏切を南から北へ横断しようとして踏切南側東端路上で立ち止まり、列車の通過を待つていた岡田八郎(原告岡田チエ子の夫であり且つ同岡田彰の父)は、その巻き添えをくい、右飛ばされた自動車によつて撥ね飛ばされ、そのため肋骨及び胸椎骨折により即死し、原告松本は入院治療二か月二五日を要する頭蓋骨皸裂骨折、頸髄震盪症、右立方骨皸裂骨折、右前胸部打撲症、右大腿下腿打撲症を受けた。
(二) 臨港線は被告の経営路線の一つであり、その軌道に設置せられた本件踏切は被告の占有、所有にかゝるものであるが、右踏切は臨港線とその南方波止場町から北方栄町市電通に通じる市道との交叉する地点に存在し、神戸港波止場付近一帯には運送店の建物、倉庫等が多数建ち並び、右波止場、運送店、倉庫等に出入する大小貨物自動車、乗用車、オート三輪車、オートバイ、歩行者の往来は極めて頻繁であり、昭和三四年の調査によれば、本件踏切の一日の自動車の通行量は一、七二〇台、通行者の換算交通量は三七、四一三名を数える。そして、本件軌道の北側に沿つて神戸市における車輛交通量の最も多い道路である「海岸通り」が通じ、軌道南側は東西ともに、本件踏切ぎりぎりに接して後藤回漕店、日通倉庫等の建物があるため自動車を運転し右踏切を南から北へ横断しようとするときは、同踏切直前で一旦停止したとしても右建物などによつて遮えぎられて、その東西の見通しは極めて悪く軌道上の状況(列車が進行して来るか否か或は進行して来た場合その距離について)及び「海岸通り」の交通状況を殆んど覚知することができない状態であり、これを知ろうとするには、仮に列車が通過した場合、自動車の前部がこれに触れる程度にまで踏切内に自動車を乗り入れて線路に近づかなければらないような踏切であるのにもかかわらず、被告は昭和三六年四月一日から、それまで遮断機、警報機を設置し、警手を配置していた(いわゆる第一種踏切)のを経営合理化、経費節減の名のもとにこれを一挙に単に警報機だけを設置した第三種踏切に格下げした。しかも、第一種踏切から第三種踏切への格下げに際しては旧警手小屋の傍に縦六〇センチメートル、横四五センチメートル程の立札を立て、「四月一日から踏切警手がいなくなつたから注意されたい」旨の掲示をしただけで、その他一般の通行者に対する周知の方法を講ずることなく、そのうえ、唯一の保安設備として残された警報機は、電柱の陰に隠れるような位置に設置せられ、本件踏切へ南方から向い進行する場合、その存在を発見するのは困難であり、更にその警報音は微弱であり、周囲の騒音にかき消され聴取することは困難であつた。
被告としてはこのように見通しが悪く、交通量の多い踏切においては遮断機の設置及び警手の配置を廃止すべきでなく、仮にやむをえない理由でそれらを廃止するにしても、設備変更について、ひろく通行者にその旨を十分周知徹底させる措置を講ずべきであつたのに被告はそれを採らなかつたのである。
右のように、本件踏切の設置及び保存に瑕疵があつたため、本件衝突事故が生じたものであつて、右踏切は土地の工作物であり、被告はその占有者であり所有者なのであるから、右衝突事故によつて生じた損害を賠償すべき責があるといわなければならい。
(三) 本件事故によつて、原告らはつぎのとおり損害を蒙つた。
(1) 原告岡田チエ子及び同岡田彰の損害額
イ 財産上の損害
<1> 岡田八郎の得べかりし利益を相続したもの
前記のとおり、原告岡田チエ子の夫であり、同岡田彰の父である岡田八郎は本件事故によつて死亡したのであるが、右八郎は昭和二二年以来死亡時まで、山中運輸株式会社に勤務し、同会社から死亡前一年間に金四六三、五九三円の給与を得て、同人の税金、生活費その他の雑費を控除した純利益は一か年三〇〇、〇〇〇円あつた。そして同人は大正六年一〇月二六日に生れ、本件事故による死亡時には満四三年五か月一五日であり右年令者の平均余命は三一・四五年であるところ、同人の勤務先である山中運輸株式会社は定年退職制度を採用していないため、岡田八郎の稼働年数は右余命年数と一致するというべく、従つて同人は右余命期間中、毎年金三〇〇、〇〇〇円の純益を得べかりしものであつたから、死亡時における額をホフマン式計算法により算出すると金五、八八〇、九二七円となり、同人は、本件事故によつて、右金額の損害を蒙つたことになる。そして、原告チエ子は同人の配偶者として、原告彰は同人の子として右損害額を法定相続分(原告チエ子は三分の一、原告彰は三分の二)に応じて相続し、原告チエ子は金一、九六〇、三〇九円、原告彰は金三、九二〇、六一八円の損害賠償請求権を被告に対し、それぞれ取得した。
<2> 葬儀料、回向料
原告チエ子は岡田八郎の葬儀料金四五、三〇〇円及び回向料金二〇、〇〇〇円を支出し、これと同額の損害を蒙つた。
ロ 慰藉料
原告チエ子、原告彰はその夫であり父である岡田八郎を本件事故で死亡せしめられ、精神的苦痛を蒙つたが、その慰藉料は各金五〇〇、〇〇〇円が相当である。
以上のように原告チエ子の損害額は金二、五二五、六〇九円であり、原告彰のそれは金四、四二〇、六一八円である。
(2) 原告松本好美の損害額
イ 財産上の損害
<1> 原告松本は本件事故によつて、前記のような重傷をうけ、その治療費その他に金一三一、五四五円を支出し、それと同額の損害を蒙つた。
<2> 原告松本は本件事故によつてその所有の自動車を全壊し、その自動車の価格相当の金四五〇、〇〇〇円の損害を蒙つた。
ロ 慰藉料
原告松本は本件事故によつて、前記のような重傷を負い、その精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料は金三〇〇、〇〇〇円が相当である。
以上のように、原告松本の損害額は金八八一、五四五円である。
(四) よつて、被告に対し原告チエ子は金二、五二五、六〇九円、原告彰は金四、四二〇、六一八円、原告松本は金八八一、五四五円及び右各金員に対する本件訴状送達の翌日である昭和三七年九月七日から完済まで民法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告の答弁及び主張
(一) 請求原因(一)中、原告松本が、その運転する自動車を本件踏切の直前で一旦停車したこと、更に踏切内に乗り入れ停止し、軌道の状態を確めようとしたこと、本件踏切を南方から北方へかけて横断する場合、軌道上の左右の見通しが極めて悪いことはいずれも否認するが、その余の事実は全て認める。
同(二)中、臨港線が被告経営路線の一つであり、その軌道に設置せられた本件踏切は被告の占有、所有にかゝるものであること。本件踏切は波止場町から北方栄町市電通りに通じる市道と臨港線とが交叉する地点に設置せられ、臨港線北側は、それに沿つて「海岸通り」があり、南側は、右踏切に接して後藤回漕店、日通倉庫等の建物があること、被告は本件踏切に遮断機、警報機を設置し、警手を配置していたのを昭和三六年四月一日から経営合理化のためこれを警報機だけ設置する第三種踏切に変更したことはいずれも認めるが、その余の事実は全て争う。
同(三)の事実は全て争う。
(二) 本件踏切には何ら設置及び保存上の瑕疵はない。
被告は経営合理化のため本件踏切を昭和三六年四月一日から、第一種踏切(遮断機、警報機の設置と警手の配置あるもの)から第三種踏切(警報機だけ設置してあるもの)に変更したのであるが、それは昭和二七年六月一八日付国鉄運輸総局長から各鉄道管理局長に対する「踏切道の整備について」と題する輸保第一〇一号依命通達に定めらた踏切の設置標準にもとづいたものである。
右通達によると、第三種踏切の設置標準はつぎのとおりである。即ち、
「列車回数一時間最大二〇回以下・踏切の長さ(線路を横断する距離)一四メートル以下(本線三線以下)・交通量最大時間帯一時間について自動車二〇〇台以下。ただし自動車の行き違いができない場合は一時間について一五〇台以下。閃光式警報機の見通し距離四五メートル以上。ただし踏切前後の地形により高速度で踏切を横断できない場合は閃光式警報機の見通し距離を二二メートルまで短縮できる」というものである。
ところで、本件踏切を通過する列車回数は一日一二回、踏切の長さは五・六メートルで軌道は単線、交通量は最大時間帯である午後四時から同五時まで自動車一四二台(なお、昭和三四年一〇月二一日の国鉄大阪鉄道管理局調査によると本件踏切の換算交通量は一日三三、〇四八名であり本件事故当時もほぼ同様である)、本件踏切に設置せられた閃光式警報機の見通し距離は三〇メートル(本件踏切の存在する周囲の地形からして右踏切を横断する自動車は高速度では進行することができない)なのであるから、前記通達の標準に照らし合わせると本件踏切は第三種それに該当するのである。従つて被告が遮断機の設置を廃し、警手の配置をやめて第一種踏切から第三種踏切へ変更したのは被告の経営合理化方策から当然のことである。そうして、本件踏切を南側から自動車を運転して横断する場合、踏切直前で列車に接触しない地点において一旦停車すれば、自動車運転席からの軌道上の見通し距離は西方二四・六メートル、東方約一〇〇メートルであり、そのうえ臨港線は貨物列車専用路線であつて、その列車速度も全て時速約一五キロメートルで、その機関車の先頭には警鐘を取り付け、常にそれを打ち鳴らしながら進行すことになつているのであるから本件踏切の設備としては閃光式警報機の設置だけで十分ということができ(因みに本件臨港線の他の踏切で第一種から第三種へ変更せられた場所で列車と自動車或は通行人との衝突事故が生じたところはない)、しかも本件踏切の南側に設置せられていた閃光式警報機は高さ約五・八メートルあり、その上部に警報ベルが、また地上約四メートルの高さの個所に二個の赤色警報灯がそれぞれ取り付けてあり、神戸港方面行(東行)列車が本件踏切の手前一四五メートルの地点にさしかゝると自動的に警報ベルが鳴り始めかつ赤色警報灯が点滅し始め、列車が踏切を通過し終るまで、警報ベル、警報灯はともに作動し続ける装置がほどこされていて、本件事故発生時にも右閃光式警報機は故障なく正常に鳴りかつ点滅していたのである。
従つて、本件踏切の設置及び保存に何らの瑕疵がないものといわなければならない。
(三) 本件事故は原告松本好美の全く一方的な過失によつて生じたものであり、被告にその責はない。
右のように本件事故発生時には閃光式警報機は正常に作動し、機関車も警鐘を打ち鳴らし、汽笛を吹鳴させながら進行していたものであり、当時本件踏切の南西側の路上には、折からの列車の通過を待機して、一台の自動三輪車が停車していて、更に岡田八郎も踏切南側東端路上で同様待つていたのにもかゝわらず、原告松本は踏切を横断する場合自動車運転者としてはその危険の有無を確認すべき注意義務を遵守しなければならないのに、それに反し、前記閃光式警報機、列車の警笛警鐘、待機中の自動三輪車、岡田八郎等に眼もくれず、耳もかさず漫然と自動車を運転し、本件踏切を横断しようとした過失によつて本件事故を生ぜしめたのである。
(四) 仮りに本件踏切の設置及び保存について、瑕疵があり被告がその責を負わなければならないとしても、原告チエ子は自動車損害賠償保障法にもとづく自動車災害保険金三〇〇、〇〇〇円を、原告松本から慰藉料金一〇〇、〇〇〇円をそれぞれ受領しているので原告チエ子の損害額から右金額を控除すべきである。
三 被告の主張に対する原告らの答弁
原告松本は本件踏切付近にある神戸海陸作業株式会社に昭和三五年八月まで一〇年以上も勤務し、その間本件踏切を毎日何回となく横断していたので、本件踏切では列車が通過する場合は遮断機がおろされることを十分知つていたが、同月、右会社を退職して以来本件踏切を通ることもなく、同三六年四月一日から遮断機の設置及び警手の配置が廃止されたことを知らず、列車が通過すれば当然遮断機が閉されるものと信じていたのであるが、そのうえにも注意して踏切では二度も自動車を停車させ、危険の存否を確めたのであるから原告松本に過失はい。
第三証拠関係〔略〕
理由
第一当事者間に争いのない事実
昭和三六年四月一〇日、午後五時五八分ごろ、本件踏切において、原告松本好美が所有し運転する自動車と被告の第七七四号貨物列車(湊川駅方面から神戸港駅方面へ進行)を逆行で牽引して来た機関車の炭水車左(逆行運転している機関士からみて)後部角付近が衝突し、右自動車は約三〇メートル列車の進行方向に撥ね飛ばされ機関車の第二動輪にひつかかり大破し、折りから同踏切を南から北へ横断しようとして、踏切南側東端路上に立つて列車の通過を待つていた岡田八郎(原告岡田チエ子の夫であり、同岡田彰の父)が右飛ばされた自動車によつて撥ね飛ばされ、そのため肋骨及び胸椎骨折により即死し、原告松本は入院治療二か月二五日を要する頭蓋骨皸裂骨折、頸骸震盪症、右立方骨皸裂骨折、右前胸部打撲症、右大腿下腿打撲傷をうけたこと、臨港線が被告経営の路線の一つであり本件踏切も被告の占有、所有にかゝるものであること、同踏切は波止場町から北方栄町市電通りに通じる市道との交叉地点に設置せられ、臨港線北側にはそれに沿つて「海岸通り」があり、南側は本件踏切に接して後藤回漕店、日通倉庫等の建物があること、被告が経営合理化のため昭和三六年四月一日から本件踏切を第一種(遮断機、警報機の設置と警手の配置あるもの)から第三種(警報機だけを設置したもの)に変更したこと、いずれも当事者間に争いがない。
第二本件踏切の設置及び保存についての瑕疵の有無について
民法七一七条の「土地の工作物」とは土地に接着して人工的作業を加えることによつて成立した物をいうのであるが、「土地の工作物」中には、右規定の根拠とする危険責任の原理から、土地を基礎とする企業設備も含まれると解されるから、鉄道の軌道が「土地の工作物」であることは勿論であつて、踏切が右軌道施設と不可分のものであり、これと一体をなして列車の運行と道路交通の安全をはかるのであることを考えれば、軌道に設置された踏切は、いわゆる「土地の工作物」である解するのが相当である。従つて、その設置及び保存に瑕疵があれば、その占有者、所有者はそれによつて生じた損害の賠償の責に任じなければならないこと論をまたない。
さて、本件踏切は、前記のとおり昭和三六年三月末日までは遮断機、警報機を設置し、警手の配置されている第一種踏切であつたところ、被告は同年四月一日から経営合理化方策の一環としてこれを、遮断機の設置及び警手の配置を廃し、警報機だけを存置するいわゆる第三種踏切に変更したことは前記のとおりであり〔証拠略〕を総合すると、本件踏切は、神戸港波止場町岸壁から北方栄町市電筋に至る幅員約一〇・七五メートルの舗装道路と、被告経営の臨港線との交叉する地点にあつて、踏切の長さ(横断距離)は約五・六五メートル、踏切敷内は花崗岩の石畳となつていて、臨港線北側にはそれに沿つて幅員約二六・八メートルの通称「海岸通り」があり、本件踏切の南側は道路をはさんで踏切ぎりぎりに接して、西側には日通倉庫、その南隣には山中運輸株式会社の建物が、東側には後藤回漕店の事務所、その南隣には同店の倉庫が建ち並び、かつ本件軌道は特に本件踏切の西方で南よりに曲つているため、本件軌道の東西の見通しは極めて悪く、本件踏切と交叉する道路の中央部の軌道の南側レールから約三・五メートルの地点から軌道上西方を見通しうる距離はわずか二〇メートル前後(被告の踏切対策幹事会は見通し距離を一〇メートルとしている)にしかすぎず、右踏切を自動車を運転し南から北へ横断しようとするときは、自動車の前部を踏切内に乗り入れ、たまたま列車が通過する場合には、それと接触するおそれがある地点において、一旦停車し、軌道上の状況を確かめなければならないこと、臨港線は貨物列車専用の単線の軌道であつて、いずれの列車の速度も時速二〇キロメートルを越えることはないが、湊川駅には蒸気機関車の方向を転換させる転車台がないため湊川駅から神戸港駅方面へ貨車を牽引する場合、機関車は炭水車を先頭にして進むいわゆる逆行運転をせざるをえないし、その逆行運転のときは、機関士は機関士席に正常に腰かけたまゝ、上半身を捻じ曲げて、後向きになるようにし進行方向に注意しながら機関車の操作をしなければならないため、機関士の前方注意力は正常運転の場合に比較して著るしく阻害されること、被告が経営合理化のため本件踏切を第一種から第三種へ変更(警手を二名減員できる)する方針を決定したとき、国鉄労働組合神戸支部は、右方針は本件踏切を危険な状態にするものであるとして、これに反対し、昭和三六年三月二日から同月二九日まで数回にわたつて、被告と団体交渉をして遮断機、警手の存続を要求したが、被告はこれを受け容れることなく、その方針に沿つて同年四月一日から第三種踏切へ変更したこと、右変更に際して被告は遮断機がなくなり警手がいなくなる旨の立札を数日間踏切ぎわに立てたこと、昭和三四年一〇月ごろ、被告が本件踏切の交通量について調査したところによると、歩行者を1、自転車を2、荷車・牛馬車を3、小型自動車を10、それ以外の自動車を30として算出した総交通換算量は三三、〇八八であり、自動車の一日の交通量は一、五二二台であつたこと、(右交通量は、本件事故発生時より約一年半前の調査にもとづくもので、昭和三四年から同三六年にかけては我国経済は篤異的な高度成長への途上にあつたことは顕著な事実であつて、自動車数の増加、貿易量の増大により本件踏切付近に密集する運送会社船会社倉庫業に蛸集する自動車数も本件事故当時には前記調査当時より格段の相違があり、従つて本件踏切の交通量も相当量増加していたことを推認することができる)。昭和三六年四月当時、本件踏切を通過する定時列車回数は一日一二回であつたが、湊川駅構内の貨車入替作業のため時を定めず度度機関車が通過すること、第三種踏切に変更された後、保安設備として設置せられた閃光式警報機は本件踏切の南側西端と北側東端にあり、南側の警報機は高さが約五・八メートルあり、その上部に警報ベルが、また地上約四メートルの個所に二個の閃光赤色灯がそれぞれ取り付けられていて、東行列車が踏切手前一四五メートル、西行のそれが同じく一四八メートルの軌道上にさしかゝると自動的に警報ベルが鳴り始め、赤色灯が点滅し始める装置になつており、これらの作動中は、正常な注意力を働かせれば警報機から三〇メートル手前の地点で警報ベル音を聴取でき、二〇メートル手前の地点で赤色灯の点滅を確認することはできるが、南側閃光式警報機は電柱のやゝ陰になり、高さが高いため接近すると却つて多少見えにくくなり、そのうえその警報ベルは旧式のものでその音は比較的弱く、周囲の騒音が大きい場合は、聴きとり難いこと。昭和三六年四月一日、第三種踏切に変更後も廃止した遮断機を撤去することなく、本件事故時もそのまゝであつたこと、本件事故以後である同年一一月から被告は本件踏切を自動第一種踏切とし、警手の配置はしないが、列車が通過する度に、自動的に遮断機が閉じる設備を設置したこと、が認められる。右認定を動かすに足りる証拠はない。
踏切にいかなる保安設備を設置すべきかは、その踏切の見通しの良否(機関士からの見通しも含む)、列車の運転形態、列車回数、踏切の幅員、横断距離、交通量等を考慮して踏切における列車の運行、及び道路交通の安全の確保の見地から決せられるというべきであり、列車等の通過する踏切のように危険性の高い工作物にあつては、その占有者、所有者はより高度の道路交通の安全性確保の義務があるものといわなければならない。
本件踏切について、前記認定事実にもとづき、右の観点から検討すると、本件事故当時の設備では、列車の運行と道路交通の安全性の確保には十分とはいえず、結局本件踏切の設置には瑕疵があつたものと認定せざるを得ない。もつとも、前記認定の昭和三四年一〇月の被告の調査による本件踏切の交通量によると、本件踏切は、被告の内部規定である国鉄運輸総局長の踏切道整備に関する依命通達にいうところの第三種踏切に該当することは明らかであるが、右通達は単に国鉄内部の規定にすぎず、その基準に合致していたとしても、踏切の設置及び保存に瑕疵がないということはできない(しかも右調査の結果は前記認定のとおり本件事故当時の実状にそわない)。
そして、本件事故の状況から考えると、もし本件踏切に遮断機の設備(勿論正常に作動するもの)及び警手の配置がしてあつたならば、原告松本はあえて踏切内に自動車を乗り入れることはしなかつたであろうから(原告松本が警報機のベルが鳴り、赤色灯が点滅していたのにこれを覚知することなく、踏切内に自動車を乗り入れた過失があることは後に認定するとおりであるが、同原告の過失にもかゝわらず)、本件事故は被告の占有、所有する本件踏切の設置及び保存に瑕疵があつたため生じたものと認められ、被告は民法第七一七条によりそれによつて蒙つた原告らの損害を賠償しなければならない義務がある。
第三原告らの損害額
一 原告岡田チエ子及び同岡田彰の損害
(一) 財産上の損害
〔証拠略〕によると、岡田八郎は昭和二二年ごろ山中運輸株式会社に入社し、死亡当時は同会社の輸出繊維課長代理の職にあり、死亡前一年間の右会社からの給与総額は金四六三、五九三円であつたこと、同人は大正六年一〇月二六日に生れ、満四三才余で死亡したこと、右会社は定年制度はなく、大方の一般社員は六〇才を過ぎれば自発的に退職することが認められる。
厚生省統計調査部発表の第一〇回生命表によると満四三才の男子の平均余命は二八・二三年であるから、岡田八郎は本件事故によつて死亡していなかつたならば七一才余まで余命を有したであろうことが推認でき、そして前認定のとおり同人の勤務会社では一般社員は六〇才を過ぎれば自然退職してゆくのが一般的なのであるから、同人の右余命年数のうち稼働年数は一六年と認めるのが相当である。そうすると同人は本件事故によつて、右期間の得べかりし利益を喪失したことは明らかであるが、同人の死亡前の一年間の収入は先に認定のとおり金四六三、五九三円であるけれども、同人の生活費について別段の立証がないので、同人の家族構成、家族の年令とを基準として、それを算出することとする。〔証拠略〕から岡田八郎の家族は妻である同原告と長男である原告彰とで構成され、原告彰は八郎の死亡時には一三才であつたこと、原告チエ子は当時特別の収入はなかつたことが認められるから、亡岡田八郎の死亡当時の平均消費単位指数を一・〇とし、扶養家族である妻チエ子のそれを〇・九、子の彰のそれを〇・五とし(右消費単位指数はわが国の保険会社で一般的に使用しているものによるものである)、八郎の指数と扶養家族の指数との合計したものをもつて八郎の死亡前一年間の収入額を除して算出した額金一九三、一六三円(円未満切捨て。以下同じ。)
<省略>
が八郎の死亡前一年間の生活費であると認められるので、総収入から右生活費を控除した金二七〇、四三〇円が死亡前一年間の純利益になることになる。岡田八郎が生存し、六〇才で山中運輸を自然退職するまでの一六年間同人の収入は会社内での同人の地位の昇格等を考慮すると減少することは考えられないから、同人は死亡時から一六年間にわたり一年に少くとも金二七〇、四三〇円の割合による利益を失つたものであつて、右の年金的利益に対し、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して現在価を算出すれば金三、一一八、〇五七円となる。
<省略>
原告チエ子、同彰が八郎の妻であり、子であることは前記のとおりであるから八郎の損害賠償請求権を原告らはその相続人として、法定相続分に応じて相続したということができる。従つて、原告チエ子はその三分の一金一、〇三九、三五二円、原告彰はその三分の二金二、〇七八、七〇五円の請求権を被告に対して有するといわなければならない。
更に〔証拠略〕によれば、原告チエ子は岡田八郎の死亡によつて葬儀費(回向料も含む)金六五、三〇〇円の支出を余儀なくされたことが認められ、右は本件事故により通常生ずべき損害であると解されるから、同原告は右と同額の損害を蒙つたことになる。
(二) 慰藉料
本件事故により岡田八郎が何らの過失もなく即死したことによりその妻チエ子、その子彰は一家の柱を突然失つたのであり、精神的衝撃をうけたことは推認に難くないし、それは当然慰藉されるべきものと認める。
〔証拠略〕によると、岡田八郎が大学卒の学歴を有し、生前、山中運輸株式会社の輸出繊維課長代理の職にあつたこと、原告チエ子は夫の死亡後、右会社の電話交換手として勤務し毎月手取金二三、六〇〇円程度の収入を得ているが、生活は苦しく、その妹から月々なにがしかの援助をうけていること、原告彰は現在高校に在学中であるが、父が生存していれば大学に進学する希望を持つていたところ、今ではその望も経済的に可能性がないこと、父の死亡後は、それまで陽気な子供であつたのが無口な性格に変つたことが認められ、その他の事情を総合すると被告が原告チエ子に支払うべき慰藉料額は金五〇〇、〇〇〇円、原告彰に対するそれは金二五〇、〇〇〇円をもつて相当とする。
(三) 被告は原告チエ子に対し右の(一)、(二)の合計金額を支払うべきところ、同原告が、原告松本から慰藉料として金一〇〇、〇〇〇円、自動車損害賠償保障法にもとづく自動車災害保険金三〇〇、〇〇〇円計金四〇〇、〇〇〇円を受領していることは原告チエ子において明らかに争わない事実なので自白したものとみなし、右金額を前記(一)、(二)の合計額から控除した額金一、二〇四、六五二円が現実に被告が原告チエ子に対して支払わねばならないものとなる。
二 原告松本好美の損害
本件事故によつて原告松本がその主張のとおりの重傷を負つたことは当事者間に争いないが、〔証拠略〕によれば、原告松本は右重傷のため入院し、その治療費(入院費も含む)として金一〇一、六七五円、看護婦費用として金二三、七九〇円、ベツド使用料等金一、七三〇円計金一二七、一九五円を支出したことが認められ、同原告は本件事故により右と同額の損害を蒙つたというべきである。
なお同原告は入院中借用した布団の使用料金四、三五〇円を請求するが、布団は必ずしも借用しなくても、自己のものを使用できたというべきであるから右金員の請求は理由がない。
被告は原告松本の過失を主張するので、その点について判断すると、〔証拠略〕によれば、原告松本は昭和三五年一〇月、普通自動車運転免許をうけ、その所有する自家用車の運転の業務に従事していたのであるが、自動車を運転し、踏切を横断しようとするときは、警報機の設置されている場合それに意を注ぎ、警報機が警報している間は、その踏切に乗り入れることのないように警戒し、列車との衝突の危険を未然に防ぐべき業務上の注意義務があるのにもかかわらず、同原告は自動車を運転し本件踏切にさしかかつたとき、自動閃光式警報機のベルが鳴り、その赤色灯が点滅し、列車の通過を警報していたのに、まだ遮断機が作動し、警手が配置せられているものと思い込み、遮断機が閉じられていなければ列車は来ないものと軽信し、踏切直前で一旦停車し、軌道上の見通しが悪いため更に徐行し自動車の前部を踏切内に乗り入れた過失によつて、折から進行して来た列車と衝突し、本件事故を起したことが認められる。
右のように原告松本は本件事故発生について業務上の過失(それは重大な過失ということができる)があつたから、その損害額は減額されてしかるべきである。そしてその減額の程度は八割とするのが相当である。
従つて、被告は原告松本に対し負傷の治療費(それに付随する費用も含む)として金二五、四三九円を支払うべきである。
また、原告松本の本件事故による受傷は可成りの重傷であることは前記のとおりであり、その肉体的精神的苦痛は大きいものであつたことは推測でき、また〔証拠略〕によれば同原告は本件事故時失職中であり、妻は神戸福原のバー勤めをし子供二人かかえていることが認められ、これに前記原告松本の過失を考慮すると、慰藉料額は金一〇〇、〇〇〇円が相当である。
なお原告松本は本件事故によつてその所有する自動車が全壊したのでその損害の賠償を求めるが、右自動車が大破したことは当事者間に争いないとしても、その損害額がいか程かそれを認めるに足りる証拠がないので、右請求は理由がない。
第四結論
以上の次第であるから被告は原告岡田チエ子に対し金一、二〇四、六五二円、原告岡田彰に対し金二、三二八、七〇五円、原告松本好美に対し金一二五、四三九円及び右各金員に対する本件訴状送達の翌日であること本件記録から明らかな昭和三七年九月七日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をなす義務があるから、右限度において原告らの請求を正当として認容し、その余の原告らの請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言については同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 村上喜夫 宮地英雄 榎本恭博)